ごきげんようM島です。
アイビーベッドは、大手の得意先で言うと立花通り(大阪の元祖家具ストリート)の入口の
インテリア松山の倒産に始まり、ワールドインテリアの廃業、インテルナきたむらの倒産、
当時直販店を大阪南部に開店したことを怒って湯OO家具に取引の停止をされました。
東洋紡サンリビングも廃業、そして大阪木材工芸の倒産で連鎖倒産するのです。
上記しました得意先は1億円弱~2億円前後の売上がございましたので、全て合わせると
大変な金額です。これ以外にも小さいところを含みますと10件近くの廃業と倒産がありました。到底一つの卸売り会社が耐えられる金額ではありませんでした。
こうしてアイビーベッドは倒産していきます。
話は前後しましたが、営業回顧録 その7に戻ります。
アイビーベッドの関西本社営業員はシOOO販売株式会社に6名転職しました。
倒産後にその他の営業員は、ドリームベッド、西川リビング、日本ベッド、シーリージャパン、フランスベッドと主要ベッドメーカーに転職して行くのでした。
西川リビング、日本ベッド、フランスベッドに転職された方は今も活躍されています。
シーリージャパンに行かれた方は定年後にすでに退職。
ドリームベッドに行ったわOOOさんですが、人間的には優しくとても好きだったのですが、安請け合いして、約束した事を直ぐに忘れて、得意先に迷惑をかける
ダメな営業マンで、後にやめていかれますが、
彼の在職中の功績をドリームベッドの方に聞きましたが、彼の功績はきOOOをつれてきた事だ、ただただそれだけだと言っていました。
きOOOさんはアイビー倒産からしばらくは就職をされていませんでしたが、
のちにわOOOさんの紹介でドリームベッドに就職されます。
彼はアイビーベッド倒産時一番若い営業マンでした。
この転職は彼にとっても良い結果になり、社内恋愛で奥さんももらいましたし、
営業成績も順調で今では大きな営業所の営業所長にまでなるくらい活躍されています。
アイビーベッドは精鋭の営業マンがたくさん努めていたのです。