新井家具ベッド館 & 東京ショールーム STAFF blog

新井家具ベッド館のスタッフブログです。東京ショールームの様子も更新します!!

M島の営業回顧録 その39

ごきげんようM島です。

 

新井家具ベッド館の強みは、ベッドのスペシャリストが数多くいる事です。

ほとんどの人員が、商品の仕入れ価格をしり、商品の特徴、特性をしり、

現在どの商品が在庫過多なのか、よく知りえております。

 

仕入れ価格を知っていれば、廃盤や処分商品を利益の多い商品と

組み合わせて販売すれば、大きく損をして販売しなくてもすみ、

会社の利益を守る事になります。

 

ほとんどの販売店仕入れ部門、倉庫配送部門、販売部門に分かれています。

販売部門をメーカーの応援人員だけで運営している店舗もございます。

景気のいいころは人件費も削減され、宣伝広告費に経費を回してよかったのですが、売上が減少していきますと、自社の売上しか考えませんので、

自社商品の売りこし商品のみを販売します。

 

当然、現品商品、処分品、はては自社の廃盤商品も売りません。

店舗の展示の半分以上がそういった商品のところがございます。

 

こういった店舗はベッドの数は多いですが、

お客様の欲しい商品が少なく、いろんなニーズにこたえられません。

たまたま見つけた商品を買おうとしても、販売員が自社の商品でないと

難癖をつけて、売らないようにするケースもございます。

 

メーカーの応援人員はお客様やお店のことなど考えていません。

自社の商品が売れることだけ考えています。

お客様に有益な情報を与える事もほとんどございません。

なかには間違った情報を与える場合もあり、本当に嘆かわしいです。

 

 

M島の営業回顧録 その38

ごきげんようM島です。

 

量販店は展示商品や在庫の回転率など全て数字で管理されているところは

廃盤滞留品の処理、処分がスピーディに行われます。

(メーカーに返品して、新商品に入れ替えさせるケースも多分にあります)

 

新井家具店 ベッド館はメーカーに対して返品などして、

入れ替えをしたりしません。

仕入れた商品は責任を持って販売しますので、

メーカーも安心して商品提供して頂けます。

 

また、入れ替えた商品を格安で販売して頂けますので、

アウトレットコーナーも充実いたします。

(中には通常で仕入れして、廃盤になった商品を格安で販売して、赤字になる商品もございます)

 

昔、アイビーベッド時代に家具屋はいいぞ、食べ物や見たいに食材が腐ったり

賞味期限が来て廃棄したりしなくてすむので、在庫品、展示品の価値がさがらない。という店主が多くいました。

 

現在は1年間売れない商品は売れる価格で売らないと不良在庫が

どんどん膨らんで、在庫金額の圧迫や資金繰りにも影響します。

新井家具店の不良在庫は1%未満のごく少量ですが、

ベッドを大量に展示している店を見ていると半分くらい

1年以上売れていない商品の展示がある販売店もあります。

 

そういう販売店は売り場に鮮度がないので、

買いたいフレームがあまりありません。

マットレスも偏りがちになります。

 

弊社のベッド館は大阪に1店舗のみですが、全国からご来店いただいておりますが、ほとんどの方に満足頂していると思います。

今後共に皆様に指示される売り場の鮮度を保ちたいです。

 

M島の営業回顧録 その37

ごきげんようM島です。

 

シ○○○のときの棚卸しは半年に1度でした。

管理部門の専属員が出荷、入庫を担当して、バーコードも使用していますが、

それでも棚卸し差異は出てきます。

そのときの差異は棚卸しごとに修正しています。

(売上に対して、出荷間違いはないか、入庫間違いはないか、調べて、

売上に対して何パーセント内なら修正できるようになっていました。)

 

シーリージャパンは人員も少なく、売上を突き詰めるあまり、

在庫の管理がおろそかになっていました。

 

メーカーや大型店舗の小売店は在庫管理で苦労している責任者は

多いと思います。

こういった事に労力や時間を費やすのは本当に会社にとって

マイナスです。

 

シーリージャパンでの苦労が在庫に対しての意識を高めて、

実際の棚卸し数量と実際の商品数とは絶対にあわさなければ

ならないと固く信念を持つようになります。

 

現在の新井家具店ではまず、廃盤になって売れない商品を

特に1年間以上滞留している商品を販売していき、ほとんどの滞留商品を

販売いたしました。

現在ではベッドフレームとマットレスの廃盤で1年以上滞留している商品は全体の1%未満になりました。

 

 

M島の営業回顧録 その36

ごきげんようM島です。

 

シーリージャパンでは営業の仕事以外に

棚卸しや倉庫管理の大変さがよくわかりました。

特に棚卸しは最初から商品が紛失などで、ないものが多く

帳簿と実際の商品が違っていたこともあり、きれいにあいません。

 

当時の上司はイイ事(いいことは何もないのに)も負の遺産も引き継いで、修正して行けと命令されましたが、

当然最後の最後まで合う事はありませんでした。

 

棚卸し報告は毎月ありましたが、最初から合わないものを

あわせるのには大変な作業で、毎回深夜までこちらの棚卸し

付け合せ作業が繰り返しございました。

本当に苦痛なだけの作業でした。

 

前の会社のときは棚卸しを管理部門の人間が担当していましたので、

こういった作業はございませんでした。

 

しかしある大型量販店の店長から御社の納品された電動ベッドが

倉庫からなくなっているので、今月末の棚卸しまでに、

返品伝票をあげて欲しいと言われました。

納品は1年半まえにされていて、納品時の受領印まで

確認致しました。

 

何とか便宜をはかるのでと、お願いされましたが、

断り続けました。

(翌年の先方の棚卸し前にもお願いされました。)

こちらのお店でも棚卸しが合わずに苦労されていると思いました。

 

 

 

M島の営業回顧録 その35

ごきげんようM島です。

 

シーリージャパンの関西営業所に見○さんが百貨店、ハウジング部門の

責任者として、シ○○○から引き抜かれました。

これも○尾専務が熱心に説得されたからです。

 

私はシ○○○から人員を引き抜いたりした事はありませんが、

私がシーリーにいることで、アイビーベッドから転職した、元同僚は

人事異動で地方に転勤することや不当なパワハラなどは受けずにすみました。

現在は私が小売店に転職したので、引き抜きなどの心配がなくなったところで地方転勤を命じられたものやパワハラで精神的にダメージを受けたもの、現在は相当苦労しているみたいです。

 

このころのシーリージャパンとシ○○○を比較したら、シーリージャパンの方の人員が圧倒的に不足していましたので、劣っている面が多く倉庫、営業所の在庫管理はシ○○○の方は

倉庫管理部門が営業所ごとにあり、営業は在庫の管理、棚卸し、

商品の出荷、荷受や催事の商品積込みや配送手配など

いろいろございますが、シーリージャパンは関西の倉庫在庫にかぎり、

すべて、営業がしなくてはなりませんでした。

 

また、営業範囲の広さも大変でした。

シ○○○は近畿地区のみでしたが、シーリージャパンは近畿に加え

四国4県も関西営業所のテリトリーになります。

当時営業人員も少なく、遠方の得意先の訪問もあり、

多くの作業量こなして、営業員を補充しながら、

関西中心に得意先の新規開拓にあたり、売上を伸ばしていきました。

 

会社が変っても仕事量や忙しさはかわりません。

日々売上のプレッシャーに打ち勝ち、営業所を運営していきます。

M島の営業回顧録  その34

ごきげんようM島です。

 

シーリージャパンの初出社前にビックリする事があり、

緊張もなく出勤できました。(笑

 

挨拶も終わり全国営業所とのテレビ電話会議が始まります。

 

東京本社の画面には社長の横に○松部長と○尾さんが専務として、

座られていて、その横に元シ○○○の谷○さんが部長として

座っていました、その他にも元シ○○○メンバーが。

 

この時、私が7月1日の今日初出勤する事を○藤社長はなぜ、知っているのだろうか?  少し不思議でしたが、この中にシ○○○のスパイというか、

情報を流している人がいるのだなあ、と思いました。

 

○尾専務と今でも情報を交わすことが出来る人も

シ○○○には残っていますので、情報戦も活発になります。

 

まず、最初に○尾専務が仕掛けます。

大型量販店Hの商品部にシーリージャパンの専務に就任した挨拶とともに、

シ○○○が大型量販店Nに○8,000円から最安値でポケットコイルを

販売させている事をリークするのです。

 

大型量販店Hの商品部からこのことの連絡を受け、

右往左往、会社中が大騒ぎになったと思います。

 

大型量販店Hのシ○○○のシングルサイズマットレスの最低価格は○5,000円からでしたので、九州に飛び、大型量販店Nに販売価格を

○5,000円からにして頂くようにお願いされました。

 

大型量販店Nに更なる改定と大型量販店Hにペナルティとして、

よりよい条件を提示しただろう事は想像ではございますが、

言うに及びません。

M島の営業回顧録 その33

ごきげんようM島です。

 

意思をかためた私はシーリージャパンの窓口で

熱心にお誘い頂いた、○松部長(当時)に会社の将来性と

私への期待を説明頂き転職をいたします。

 

退職届を提出いたしましたら、当時の上司が、なんで相談してくれなかったんだととても残念がっておられました。

人事異動の件は発表するまで、極秘にすることを命令されていましたので、

会社内では誰にも相談できませんでした。

 

送別会も盛大にして頂きましたけど、今後はライバル社で働くことに

なりますので、それは複雑な気持ちでした。

 

アイビーベッドからシ○○○に転職したときも、今回シーリージャパンに

転職したときもそうでしたが、ぎりぎりまで前の会社で働いて、

直ぐに次の会社に出社する事になります。

どちらの場合も2ヶ月近く有給休暇がありましたので、

個人的にはゆっくり休みを消化して、次の仕事にそなえたかったのですが、

行く先の会社の事情で一日も早く来ていただきたいとの事で、

慌しく初出社するのでした。

 

このシーリージャパンでの初出社の日にある出来事が起こります。

 

7月1日の暑い日でした、会社のビルの前に人影が、

私がビルに入る前に声をかけてきた人がいました。

シ○○○株式会社の社長○藤さんでした。

 

今日からシーリーに行くのか。

頑張れよ、、、、と言って頂いたのですが、今日からは敵なので、、、、

胸中はわかりませんが、今や大会社の社長と

初出社の日に最後の挨拶を交わせたことは、今振り返れば、

光栄なことだと思います。