ごきげんようM島です。
塩化ビニールの商品も将来的に不安もありましたし、
ベッドは必ず需要が高まるのとアイビーベッドはシOOOというブランド品の
西日本専売店なので、独占してそのブランドを販売できる強みがありました。
私が関トシ商事の販売で婚礼の荷出しのお手伝いをするのは、お手伝いをする事によって、弊社の商品を買ってもらうというギブアンドテイク営業をしていたのです。
大阪には関トシ商事より大きな問屋がたくさんありました。大きな問屋は一括でたくさんの商品を仕入れるので、同じ商品とブランドを扱っていましたが、価格が安いのです。
私の行っていた奈良県ではフOOという枚方市の大きな家具卸商社のミOさんという方(現在も頑張って会社の重役で活躍されています。)が、安い価格で得意先に商品を納入されて、相当苦戦していました。 私は人員の少ない店に荷出しの手伝いと引き換えに商品を買ってもらう営業をしていたのです。祝儀はあとからついてきた物でした。
そのときに競合する商品を扱う小さな問屋は大きな問屋に売上をとられてしまう。
独占販売できる商品、オリジナルな商品の開発が必要だとおもい知らされるのでした。
私はシOOOのブランド力とベッドの普及率の向上が有望だと思いアイビーベッドに
転職しました。
もう一方の候補だった、アート50は現在全国にありましたが、6年以上前に
すべて廃業されました。 親会社のユーアイ社は売上を当時の10分の1以下に
減らして会社も相当スリム化して、社名を変更して、再出発されました。
アイビーベッドに転職して最初の担当が大阪南部でメイン店が堺市の大型家具店でした。
アイビーベッドが倒産したときに販売応援に行っていたお店です。
土、日、祝日はこちらの店に張り付いて販売応援をして、ベッドの販売をするのですが、
こちらのお店は玄関でついたお客様を帰られるまで接客して全ての家具を売らなければならないのですが、ベッドメーカーはベッドだけ、タンスメーカーはタンスだけの
知識しかないので、自社取扱商品以外があたることが多いので
みなさん苦労されていました。
私は総合問屋におりましたので、ベッド以外の販売もこなして
大変重宝されました。
先方の部長以下、次長課長に可愛がられアイビーベッドの商品を売ってもらい
メインの得意先の中ではベッドメーカーでは売上が一番でした。